

ご案内
- 2026年10月8日(木) 大関和関連書籍を寄贈を寄贈❗
- 2026年10月4日(日) くろばね田町秋まつり
- 2026年8月31日(月)「明治のナイチンゲール」大関和にちなんだ《だるま》を寄贈❗
- 2026年8月15日(土) 黒羽夏まつり
- 2026年8月5日(水) 20:00~21:00 屋代先生が、YouTube番組「栃木県北 ボランティアネットワークチャンネル」に出演
- 2026年8月4日(火) 12:30~ 屋代隆先生が、宇都宮ロータリークラブの例会にて卓話を発表されました。
- 2026 年6月20日(土)開幕 第32回「くろばね紫陽花まつり」
- 出前授業 講師は医師・教育者として半世紀のキャリアを持つ屋代隆氏(那須短期大学 看護学科 学長)
2026/08/05 20:00~公開
大関 和(おおぜきちか)

下野の黒羽藩の国家老であった大関増虎(弾右衛門)とその妻のテツの次女として生まれる。その名は 大関 和。 のちに「明治のナイチンゲール」と呼ばれることになる女性です。幼いころから、ちかは人の痛みや苦しみに敏感でした。 病に伏す人がいれば、そっと寄り添い、冷たい額に手を当て、できる限りのことをしようとする。その姿は、周囲の大人たちの心を温かくするほどでした。
やがて明治の世が進むにつれ、地域にはさまざまな病が広がり、医療体制もまだ十分ではありませんでした。医師の手が足りず、看護という概念すら曖昧だった時代。そんな中で、ちかは迷うことなく看護の道へと歩み出します。
「目の前の命を救いたい」 その一心で、彼女は医師のそばで技術を学び、昼夜を問わず患者のもとへ駆けつけました。 時には家族のように寄り添い、時には厳しく励まし、時にはただ静かに手を握る。その献身的な姿勢は、やがて地域の人々の間で語り継がれ、「明治のナイチンゲール」 と呼ばれるようになります。
感染症が流行したある年、ちかは危険を顧みず、倒れる寸前まで看護を続けました。「自分が動かなければ、救える命が救えない」 その信念は揺らぐことなく、彼女の背中を押し続けました。ちかのもとで看護を学んだ若い女性たちは、のちに地域の医療を支える存在となり、 彼女の精神は静かに、しかし確かに受け継がれていきます。
大関ちかは、華やかな称号を求めたわけではありません。ただ、目の前の人を救いたいという思いだけで生きた女性でした。 その生涯は、今も那須の地に息づき、「人に寄り添うとはどういうことか」を静かに語り続けています。

ウェザーニュース
大関 和ゆかりの地をめぐる 歴史と自然の旅

















